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富士山に行きます。 この土日で。 思いやりのご来光というイベントに参加しに。 このイベントは10回目で、今回が最後。 2008年にガイアシンフォニーの映画を見に行ったときに、このチラシがあって、監督の龍村仁さんのお姉さんの主催で、 富士山の御殿場五合目で夜中から始まる。 奉納演奏があって、奈良の天河神社の宮司さんが護摩をたいて、ご来光のときには参加者全員で世界中の人たちの幸せを祈るというイベント。 一昨年は、ステージがくまれていて、マイクあり、照明あり、だった。 私も、霧の中を、琵琶の三紀さんと演奏しました。 あっという間に霧が晴れて、夜中の富士山での演奏は、とてもいい体験だった。 去年は、モンゴルに行っていけなかった。 今年、いかなくちゃって、思って、まとめ役の久保さんに連絡を取ったら、去年は、みんな静かに祈ろうという事で、音楽なしだったらしい。 そして、今年はなんと最後でした。 必然だったんだねー。と話をして、今年はね、ステージも、マイクも照明もなしで、護摩の周りに人が丸くなって、集えて、その中で、演奏してもらうようにしたんだよー。 と優しい声。 だから演奏者の顔が見えない状態だけどいいかなー。 あ、その方が、闇の中に音が広がっていくのが見えるみたいで、面白そう。 今回は、パーッカッションのマーヤさんと。 同行者は、洋子さんとアンフリーの未知さん。 またまた珍道中。 帰ったら、また奈良まで長男と自動車旅行。 そこに洋子さんも加わって、天河神社まで行く。 これも面白い流れだよね。気ずいたらこうなってた。
梅雨明けが宣言されて、本当に星空が戻ってきた。 ここは星がきれいだと思っていたのは、夢だったっけ? とか、冬だけだったかな?とか思ってたら、 昨日と今日、天の川まで見える。 あの霧みたいな線は、天の川だよね? と、長男と、確認しあう。 夏のよるは、 やっぱり星がきれい。 冬のよるもきれい。 でも、明らかに感じが違う。 コストコで、かなりおっきなビニールプールを買った。 まあ大人も、少し潜れるような。 蒸し暑いよるに入ったら、気持ちいいなー 星空見ながら。 なんて思うんだけど、八街って結構涼しい。 日中あつくても、よるになると、涼しくなるから、井戸水のプールじゃなおさら水は冷たい、外は涼しいで、なかなか実現しない。 いっそのこと、お湯入れちゃう? って思わず思ってしまうのは、日本人だよなー。
あるとき父の親しくしていた、教科書会社の社長さんが遺言に自分の大事にしている鯉を父に譲ると書いていたらしく、 全部というわけにはいかなくて、その中の特に立派な1っピキ100万するようなでかい錦鯉が2匹我が家にきた。 家に大きな池があって、井戸水をひいていたから私もよくそこで泳いでいた。 で、普通サイズの錦鯉が何匹かいた。 朝、鯉の餌をやるのは私の仕事だったから、眠い目をこすりこすり、えさの缶を持って庭に出て行き、えさをやろうと思って池をのぞくと、 ものすごく巨大な鯉が2匹いたわけだ。 びっくり仰天して、家にかけ戻り、大きな鯉が2匹いる!! と大騒ぎ。 アーアレは、お父さんのお友達からいただいたのよー。 母は、わざといわないで、驚かしたのだ。 私はその立派な錦鯉にタローとジローという名を付けた。 もうかわいくって、暇があると一緒に泳いだ。 あるときには裸で。 猫みたいに足にすり寄ってきたり、足の間をくぐったり、私も持ち上げようとしたりずいぶん遠慮なくふれあっていたけど、タローとジローはいやがらなかった。 他の小さな鯉は、魚だったけど、あの巨大な2匹は、完全に友達だった。 その社長さんが本当にかわいがってた鯉だったらしい。 でも亡くなって、しばらくはほっとかれていて、そのうち穴あき病というのにかかってしまって、あわててうちにやってきたと、 今になってから聞いた話。 鯉はどのくらい生きるものなのか私には分からないけれど、確か、小学校1年生の時にうちにきて、 私が、山形の高校にいっていた間にタローとジローは死んだ。 それにしても、私は、鯉の餌が入っていた大きな缶を、何度落としたことか。 学校にいかなきゃ行けない時間はとっくにすぎているのに、母に怒られ、泣きながら、えさを拾ったり、 池の中に落として、えさを網で回収したり、何度やったことか。 鯉の大きな口が、足や手に吸い付いてくるあの感触。 昨日テレビで、鯉にキスしているおじさんを見て、急に懐かしくおもいだしたのだ。
お父さんは90さい。 っていうとビビると思うけど、おじーちゃんじゃなくて、私の父。 50代の時の子供。 だから私は幼稚園で、友達のお父さんを見た時、まるで、お兄ちゃんみたいだと思った。 怒られたことはあまりない。 孫みたいにとしが離れてるから、かわいがりすぎてではない。 としが上だからというのはあると思うけど、怒って怒られたことがない。 一言、何かいえば、私は、すぐにピットなった。 怖くてというよりは、全くそのとうり。 と思わせる何か。 母がさんざん注意しても、おさるさんみたいに、尻をかきながら、フーンだ。と知らぬ顔。 はじめは、そのやり取りを、楽しそうに見ている父。 私の度が過ぎてくると、一言。 そこでいうこと聞かないと、その次どうなるんだろう。 試してみたことはない。 そういう意味では怖かった。 年中北海道から沖縄まで、飛び回っていて、東京を経由するついでに1日よったり、そんな有様。 大きな焦げ茶色のボストンバッグを、右肩に担いで駅から現れる。 かえってくると、いつかえるの? とたずねてしまう。 家はここだから、いついくの? が正しいんだけど、ついそう聞いてしまうのだ。 すまなそうに、んー明日またいくよ。今度は広島に行くよ。 てなぐあいだ。 それで、かならず本屋に行って、美炎子はどんな本が好きか? といって、2、3冊買ってくれた。 東京を経由するんだけど、千葉の家による暇がなくて、旅先でいただいてきた、名産品をロッカーに預けて、母がそれをとりにいくこともあった。 ある時は、ロッカーに預けたことを忘れて、日が経ってしまい、あけてみたら、巨大な松茸が、ごろごろ、かさがぜーんブ開いてしまっていた。 でもおいしかったらしい。
すべては自分。 すべては自分が創りだしている。 完全に責任を取る。 そこに立つのは勇気がいる。 いい気分でいるときに、わざわざ自分の意識の中のいやなことをほじくり返すのは、あまり楽しくない。 でも、やりつずけると、これは絶対に超えられないと思っていた、壁が、次の日には平坦な地になっていることを発見する。 こっちの方が断然楽。 数日前、ひろった多分フクロウの羽だと思う、その羽を、手に持って、ちょっとさけていた抵抗のようなものに向き合うことにした。 分厚いワークブックを開いて、読みだす。 ン―やっぱり、このやりたくなかったのは、完全に責任を取るのを、拒否していたなーと思う。 100人の人が、ええ、それは、悪いのはあなたじゃなくて、別のことのせいです。 と言ったとしても、それは、他のことでは、責任を取っています。このことをのぞいては。 となるから、それは完全に責任を取ることではない。 責任を、他に押し付けるということは、結局、自分で自分の首を絞めることになる。 だから、今、大変な経験が多い人は、責任を他に押し付けている結果であることがほとんどだと思う。 100パーセント私の責任じゃない。あるいは、10パーセントは別のことのせいだ。 というのは、とても、重くて、エネルギーが吸い取られていく。 そのことに。 そうじゃなくなった時の、軽やかさを、体験すると、自分が創りだしていたんだということがよくわかる。 そして、本来の人間は、そんなふうに完全に責任を取ることで、愛というものを体現していくのだと思う。
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