音楽と男女

今でもたまに通っている声楽のレッスン。

楽典の話になったときに、

「西洋音楽て言うのは結局男性が作り上げたものですからね。

ここだけの話、私の解釈ですけど、

長調は男性。太陽みたいなもの。

かならず

どんな調にも裏にかならず短調があって、

それが女性。月みたいなもの。

悔しいですけどねー。

聖書にもアダムのあばら骨から女性ができたって書いてあるじゃない。

くやしいわねー。』

てな話。

そのとき連想したのが

惑星探索家の木内鶴彦さんの本に、月ができたなれそめが書いてあるのだが、

地球というのは本当にきせきのように月という存在ができてから

月と地球との関係性の中ですべてのものがはぐくまれた。

よく宇宙人の話で、宇宙人は両性具有であるとか、

地球でも、超古代?の今よりすすんでいたとされる時代には両性具有だったとか、

それが本当か嘘か、そこはおいといて、

月という存在が出来てから今の進化があって、女性と男性とができた。

西洋音楽は

なんていうか

天体学ににているような気がするのだけれど

生理的快感にもとずいている。

生理的快感は人間の体の仕組の中の事。

体は宇宙のようなもので、おなじようなしくみや、均衡や仕組みからできている。

宇宙の学問も、体の学問も、西洋音楽もおなじバランスというか

おなじルールに基づいているのではないかと。

西洋音楽とくぎるのはおかしいかもしれないけれど、

すべての音楽でない事は確かだ。

ま、そこはいいとして、

だからじっさい

宇宙から音楽をつくるとか、

音楽で体がなおるとか、

当然ありなのだ。

あれ?

男女の話からはずれたきもするけどなー。

リセット

日食。とか、嵐、とか、

そういう空がくらくなってざわざわするような事が

昔から好きだ。

日食そのものをみたい!

というより

その前後のざわざわ感を感じる事が面白い。

最近やたらと眠くて

今朝も、おきてわざわざ見ようとはおもってなかったけど、

べっとのなかから窓の外のざわざわを眺めていようとは思っていた。

下のこがうれしそうに、外に行き、

ないよー。

とがっかり。して戻ってくる。

お隣さんのいえの砂利道まで出て、向こうの空を見てご覧。

というと、

みえたー!!とかけ戻ってきて、

なんども見えたと報告に来るのでとうとう外に出る。

ふだんから太陽をふつうに見てしまう癖のある私は、

皆に言われても、やはりそのまま見てしまう。いつか失明するのかしら?

でも、薄曇りの中で、みえたりみえなかったりだったみたい。

ちょうど厚い雲がかかって、何も見えず。

それでもお隣のお兄ちゃんと、サチュリは(下の子)一番いいときにみたよね!と喜びあっている。

そうこうしているうちに雲が流れて見えた。

やっぱり太陽を肉眼で見ると、ある瞬間から光のまぶしい玉から、白いかまぼこを見ているような感じになる。

ようするにまぶしくないただの白玉。

そして周りがきれいなピンクになるので、太陽の光ってピンクなんだー。

と思ってるんだけど、わたしだけ?

それから、サチュリは学校に行き、私は外で、ここ半年以上毎朝つづけているチベット体操をする。

薄曇りの中、風に吹かれて体操をしているうちに、

リセット。

そんなふうに思った。

この数年、続いている事であると思うのだが、とくにまたこの春から強くなって、

この日食を境にまたリセットがはじまるような

そんなことをつげる風だった。(妄想?)

敏感な人はこの数日、体調をくずしているし、わたしはずいぶんチベット体操のおかげで強くなった気がする。

演奏していても惑わされる事がなくなったように思う。

それでも、この数日は、チベット体操自体が辛くなって、以前はほいほいやっていたのを、

休み休みやらないともたない。そんな感じだ。

地球も、私自身もリセットするじきなのだ。

リセットを、受け入れる事、それが辛いような事だったり、厳しいような事だったりしても、

抵抗せずに、それがいったいどんなリセットなのか、どんなふうにやってきてて、私はどんなふうに反応するだろうか?

むしろ観察を楽しむぐらいの心構えでいた方がいい。

地球よ。いっしょに頑張ろうね。(妄想族)

風が吹くように

カウアイから帰ってすぐに八ヶ岳での仕事があった。

春から沖縄、熊本、カウアイ、八ヶ岳、とつづく一連の旅は

まったく違う環境と、全く違う旅のないようではあったけれど

一つの風がそう吹いた。

そんな感覚だった。

旅を経るごとに、風の感覚、光の感覚、そういったものに鋭くなったような気がする。

いつもご一緒してくれるピアノの竹井さんに帰る度のリハーサルで、

また音が変わったね!

また音が変わったね!

といわれつづけて

私も自分でそう思うのだ。

音を出した瞬間にそれが分かる。

そしてうれしくなるのだ。

あそこの空気と光が、わたしの音に反映している。そんな気持ちで。

どこまでもどこまでも力強くなれる。そんなふうな気さえする。

こんなにも自然の力がわたしの音楽に反映するのかと、自分でも驚く。

逆にエネルギー切れするときには、それが分かって苦笑する。

八ヶ岳はやはり特別な場所だなーと思う。

天女ガ原

というような場所がある。そこにのぼったとき、次は天女の曲を作りたいなーと思った。

一つの出会いが次の出会いにつながっていく

ここ最近それを実感する日々。

出会ってつながってくれるそんな人達に恵まれているのは本当にありがたい事だなーと思う。

私が出来る事は音楽。その音楽をただやるしかない。ただやるしかない。

音楽

音楽を楽しめる事に感謝。

音楽を心から好き。と言える事に感謝。

音楽を心の慰めとしている事に感謝。

音楽を人との出会い、場所との出会いの架け橋としている事に感謝。

音楽の一部であると自分を思っている事に感謝。

音楽を愛している事に感謝。

音楽を創っていける事に感謝。

音楽をこんなに好きで、こんなに必要で、こんなに一部であると思っている事を

音楽で表現できる事に感謝!

カウアイをふりかえって

カウアイでの日々。

遠い夢ではない。

確かに夢のような日々であったけど、日常でもあった。

そんな確かな感覚がある。

以前はすごい旅をしてしまうと

帰る頃が悲しくなり

かえってまた悲しく

やがて旅が夢のような感じになって

また夢が見たくなる。

そんな繰り返しだった気がするけど

ここ最近の旅は

仕事意識が強いせいか

日常と大差なくなってきていて

旅の日々と日常の日々が同じラインにある。

カララウ渓谷を上から見下ろして

ちょうど渓谷の真ん中に立った時

何とも言えない感覚だった。

パズルがぴったりあったような感覚に近いかな。

それから撮影もかねてトレイルしたSWAMP(尾瀬のような湿地帯に木道がついている。)

では

終始深く落ち着いた感覚があった。

説明するなら

何かは分からないけど、確かにそうだ。という確信が腹の中にありつつ

それが何か探る必要も感じなくて

ただ、そんな時は直感が何にも邪魔されずに体に満ちていて

自分も何も心配する事なく、そこに従う。

そんな感覚だ。

最初の撮影が終わってトレイルを楽しみ

そのトレイルの道の終わりにたどり着いた時は

素晴らしい眺めがまっていた。

連なる渓谷。その先の青い海。

小さなスペースだったが

誰もいなくてゆっくりランチを食べながら

ぼーっとする。

弾くなら今かなーと、おもいつつ

動かない。

そのうち他の人達が来て、

もうちょっといたら

人がいなくなるかな?としばらくまつが

かえって増えてきたので

井崎さんとその場からはなれる事にした。

楽器をもつと、一人の人が、それは何の楽器?

と訊ねた。

モンゴルの民族楽器。とこたえると

ぜひ弾いてほしいと言う。

井崎さんが彼女はプロだよ。と説明すると他の人達も聞きたいと言った。

楽器を出して弾き始める。

こんな時には即興だ。

いつもの自分の楽器ではないから尚の事。

しずかにしずかに弾き始める。

私の足下にいた人が、リンゴの皮を剥いていた手が、次第にとまって

音に同調していくのが分かる。

あまりにも静かな時間。

カウアイの優しい空気と光と風。

そこに満たされた人達の何かがおりまざって一つになるような

なんともいえない時間。

おわって顔を上げると

人が演奏を始めた時よりも沢山増えていてびっくりした。

何にびっくりしたかと言うと

誰も動いた気配がなかったからだ。

静かに静かに空気を混ぜるように演奏していたし、

誰も動いたり話したりしていなかったから

まさか人が増えているとは思わなかった。

皆喜んでいた。

そこを去るみちみち、いちばん喜んでるのは私だな。と思った。

さっき通った山のてっぺんに広がるSWAMP。

その空に素晴らしい雲がかかっていた。

太陽の周りに渦巻いた雲がうすくかかり光の輪が出来ていて

その下には大きな白い馬が走っている。

その馬の首に虹色の光がかかっていて、それは素晴らしかった。